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二年目のあのひ。

Category : 日常生活

平成25年3月11日。あの東日本大震災を引き起こした、東北地方太平洋沖地震の発生から二年がたちました。

私達にとっては短い二年間だったかもしれませんが、現地の被災された方々にとっては辛くて苦しくて長い二年間だったと思われているかもしれません。


日本中が大きなショックを受け、地震発生から一か月くらいは首都圏在住でも異常なものだと感じました。


私はあの日、高校の地下にいました。すごく長く揺れたのを覚えています。校庭に避難してからも、続く余震にこれからどうなってしまうのかと思いました。

首都圏の鉄道の復旧は早かったです。はじめで最後でもある学校に泊まるということを経験し、翌日は寒い中最寄駅まで行きました。一部路線はまだ大幅な遅延などを引き起こしていましたが、運転していました。

最寄駅のJR線改札前にある、いつもなら運行情報(路線図に赤い線とかオレンジの線が出て運行状況を知らせる)モニターが、その日だけNHKのニュースを流していました。地震後、はじめて見るテレビ。大勢の人がその周りに集まっていました。

もう退職済みですが、当時私は鉄道会社で駅員を補助アルバイトをしていました。新人研修が済み、やっと一人前になったという頃に地震が発生しました。


計画停電が実施されたときは、家の最寄駅まで鉄道が運行されなかったので勤務駅まで自転車をこいだ記憶があります。途中、急な坂が何度もあります。家を出たのは日の出前の三時半ころでした。

バイトは、朝ラッシュ時の通称押し屋と呼ばれる仕事です。私の勤務駅では、お客様を車内に押し込んでドアを閉めるという勤務を行っていました。

震災後、計画停電により運転区間が縮小されていましたが次第に全区間での運転が再開されると、すべて各駅停車というダイヤで運転をされた鉄道会社がほとんどだったと思います。私の勤務駅も例外ではなく、いつもなら押し込みをほとんどしなくても大丈夫だったのに、あの日以降しばらくはホーム全体に各駅から応援の駅係員がかけつけ、本社からも二人派遣されたほどでした。それでも、やっとの思いでした。私は、その光景を忘れることが出来ません。


夏。私の所属していたボーイスカウトのベンチャー隊隊長が、被災地のボランティアに行くぞと発案し、宮城県石巻市へ行くことになりました。通常は一週間ほどの滞在でしたが、私は所用により一日だけの滞在だけになりました。

仙台まで夜行バスに乗り、仙石線に乗りかえます。仙石線は、高城町までの運転となっていました。仙石線は、小学四年生のとき、当時JRから土・日きっぷという、古川までの東日本エリアの全線(新幹線含む)が使えるきっぷがあって、小学生は3000円という破格の安さ(そのうえ指定席も4回とれた)で親に黙って乗りに行ったことがあります。

仙台から多賀城あたりまでは住宅地が続き、松島海岸以降は海岸線を沿って走ります。それから、何度も仙石線は乗りました。私は仙石線が好きでした。

震災後、ニュースで仙石線の205系車両が津波にのまれて放置されている映像を目の当たりにします。正直、言葉を失いました。あの日、学校宿泊の際にラジオで仙石線の車両が海に転覆しているといった情報(のちにデマだと判明)を聞き、想像もできないような状況だと思いましたが、それでもあの映像からは何も感情が生まれませんでした。

そんな、仙石線は高城町まで運転をしていて松島海岸からは代行バスが出ていました。いつもならば、仙石線の「快速高城町」表示がレアで、カメラに収めるところですがそんな気がおきるわけがありません。こんな状況での高城町行きを見たくはありませんでした。

代行バスに乗ると、仙台市内の状況とは違って悲惨な光景が車窓から見えるようになりました。震災前に最後にこの区間の仙石線に乗ったのは、平成22年の4月。友人を連れて、この区間を乗りました。それが最後の仙石線の乗車となってしまいました。

バスは矢本駅に着きます。矢本からは、陸羽線用のキハ110系を使って運行しており、これで石巻へ向かいます。

石巻駅に着くと、隊長が車で迎えに来てくれて、それでボランティアが集まるところまで向かいました。

集合場所である、公民館の前には、今回のボランティアの隊長さんの自宅があったそうですが、津波にのまれてしまったと聞きました。その方も、自宅ごと津波にのまれて決死の思いで這い上がり、助かることが出来ました。

ボランティアは、排水溝にたまった瓦礫などの撤去。力仕事でした。かなり大変でした。一日だけの私でこのレベル、ずっと続けている方はたまったものではないと感じました。

その後、石巻駅までその隊長の方が車で送って下さり、その途中で石巻の惨状を見せられました、魚市場や門脇小学校…。その時の様子はこのブログで語っているはずですので、バックナンバーをご覧ください。



このように、おととしは私にとっても考えさせられるものでした。それは今でも変わりません。


風化させてはなりません。今日も明日も、これからも。



改めて、被害に遭われた方にご冥福をお祈りいたします。

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